フィレンツェ シニョーリア広場のカフェ

フィレンツェはイタリアの中で、いちば~ん好きな街です。

何年か前、当時の市長が市民の猛反対にもめげず、中心部から車を締め出してくれたので、観光客は車を気にすることなく、安心して街の中を散策できます。市長はしばらく身の危険を感じ、身辺警護をしたとか、、、、
なんて話を聞くと、全くもって激情的でイタリア的というか、古い石文化の国にしみ込んだ深~い執念まで感じてしまいます。

そんな街歩きで楽しみなのが、歩きつかれて立ち寄るカフェと、カプチーノ。
街を歩けば、すぐに、すてきなカフェのある広場に出会います。
ここ、シニョーリア広場は、右手にウフィツィ美術館、左手にドゥオモ、目の前はベッキオ宮と、フレンツェ文化遺産のど真ん中にあり、さまざまな歴史の移り変わりをつぶさに見てきた広場です。

歴史の授業で必ず習う、フィレンツェ=ルネッサンス。

『文芸復興、芸術・文化・人間再生』とか、抽象的な言葉で、中身は分かったような分からないようなまま、入試が終われば、ハイ、おさらばでしたよね。

本当の勉強は、学校を卒業してから、テストというものがなくなってから、面白くなるのね、これが。

 

で、唐突ですが、シニョーリア広場とルネッサンスとのかかわりの面白い話を、わたしの大好きなロレンツォ豪華王(ロレンツォ・イル・マニフィーコ)様に講義してもらいましょ。

ロレンツォ様、どうぞ!

『あ~、はじめまして。わたしが、メディチ家の当主、ロレンツォです。

わたしの時代、我が家はフィレンツェで強力な政治支配者となり、又、わたしがすごいパトロンになって、ルネッサンスは最盛期を迎えたんだけどね・・・とっても長い話だけど、長いと嫌われるから、かいつまんで説明するね。

わたしのおじいさんの老コジモは、金融業でメディチ家をヨーロッパ有数の大富豪にした人なんだけどね、そもそもルネッサンスが花開く、大きなきっかけを、作ってくれたんだよ。

1439年におじいさんは、『東西統一公会議』をフィレンツェに誘致したんだ。ま~、たくさんの思惑があっての会議だったんだけどね。
主な目的は、東方正教会とローマカトリック教会、この東西のキリスト教教会の、和解と再統一ね。

キリスト教世界の力を結束してね、オスマントルコなどの他民族の勢力が及ばないようにする。うまくいけば、仲をとりもったフィレンツェの地位も高まるし、ビザンチン帝国(=東ローマ帝国、首都コンスタンティノープル、今のトルコのイスタンブールね)との親交も深まり、東方貿易を活性化できるしね。当時のビザンチン帝国は、文化的にもとっても進んでいたからね。

その時、ビザンチンからやって来た人達が、ギリシャの古典文化や知識をもたらしたんだよ。

ギリシャといえば、哲学や、大自然の神々の神話。とっても奥が深いんだよね~。おじいさんは、プラトン・アカデミーを作って、ギリシャ語の勉強や、ギリシャの哲学・思想・古典文化の研究をさせたんだよ。

さ~、これがきっかけとなり、それまでキリスト教会の元で、戒律を守り、敬けんにキリストだけを信仰していたフィレンツェ人に、『キリストが出てくる以前の、文化、思想』が、もたらされた。

ギリシャの思想は、『人間って素晴らしいんだ、愛と、喜びにあふれ、美しい善なる存在なんだ』って、精神的にも、人間を解放してくれたんだよ。すばらしい人間賛歌だね、新鮮だったね~。

そして、1453年にビザンチン帝国がオスマントルコに敗れて、たくさんの学者が亡命してきて、書籍がたくさん入ってきたことも拍車をかけ、その後のわたしの代で、一気にルネッサンスはパ~ッと大きく花開いたんだよ~。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、あ~、素晴らしかったね~!

ギリシャの神々が芸術に新しい息吹をもたらし、これが、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェッラ)』の素晴らしい名画を産むきっかけとなった。大らかに、生き生きと自然を、神々を、歌い上げているね~♪

 

ところがね、わたしが43歳の若さで亡くなってしまったんだよ。跡取り息子はまだ力量不足でね。フランス軍がナポリ侵攻でやって来た時、フィレンツェはナポリの同盟国だったのに、恐くなっちゃったんだか、不利な条件を飲んで、勝手に開門させちゃった。

さ~、怒った市民にメディチ家は、フィレンツェから追放されるんだよ~、まったく!

その後、フィレンツェの実権を握ったのが、あそこのサンマルコ修道院のサヴォナローラ。彼はコッテコッテの禁欲主義者でね。
フィレンツェはメディチ家によって堕落したっ!ぜいたくは敵だっ!目をさませっ!信仰に戻れっ!と、ギリシャの神々のような異教的なものや、享楽的な絵画や芸術品、書籍、ぜいたく品をこのシニョーリア広場で、ボンボン燃やさせたのよ。アァ、何てこと!
執拗なことには、子供まで使って密告させてね、家の中に隠したものまで、徹底的に燃やさせた。
アァ、あれがなければ、素晴らしい芸術品が今もたくさんあったのにね。

その後、教皇にまでたてついて破門されちゃってね。あまりの絞りように市民からも嫌われ、結局サヴォナローラも、ここで燃やされた。アッ、気持ち悪いからやめるね。ごめんね。

おまけの話し・・・あんなに素晴らしい絵を描いたボッティチェリ。一緒にプラトン・アカデミーに出入りし、わたしがとっても可愛がっていたのにね。わたしが亡くなると、ど~しちゃったかサヴォナローラに傾倒しちゃって、『反省~』なんてしちゃってね。それからは、描く絵が生気を失って、硬く冷たいものになっちゃった。まったく悲しいね。

あ~っ、ゴメン。とっても長くなっちゃったね。じゃこの辺で・・・フィレンツェを楽しんでね。バイバ~イ』

ロレンツォ様、ありがとうございました。

激動の時代を経て、今の平和な時代を眺める広場。
ワンコまで、ドベ~ッと、後ろ足を投げ出し、幸せに浸っています。

でも、あの~、ロレンツォ様、あの時、貴重なルネッサンスの芸術品が燃やされなかったら・・・・・、

ウフィツィ美術館は10個以上も必要だったかも。
そして、フィレンツェ旅行者は、あと、10日以上も美術館巡りが必要だったかも。

 
 

★『東西統一公会議』にちなんだ美しい絵が、フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿の礼拝堂にあります。

ゴッツォリ作 『ベツレヘムに向かう東方三博士』のフレスコ画。
壁一面に描かれた豪華な行列の絵には、メディチ家の人々や、統一公会議に来たビザンチン皇帝やコンスタンティノープル総主教らが描かれているので、絵をよっく読むと面白いのです。
キリストの誕生を祝いに行く『東方の三博士』には、わたしの大好きなロレンツォ様も、馬上の美青年として描かれているの。
(ヒソヒソ、本当のロレンツォ様は、しゃくれあごに長い鼻の、どちらかというと不細工な顔だったの、あっ、すんません、で、でも、生のご本人には、や、やっぱりナンというか、育ちのよさと品格と、意志の強さが感じられまして、、、汗汗)